2006年02月05日

暗いです。笑

起きたらハピーが皿洗いしたり洗濯していたりしてたので驚き。
窓開けてると寒いんですけど。
ってか台所占拠されると顔洗えないんだよね〜。
ちょっと迷惑。
…なんて言えるはずもない。

適当に会話し家を出る。
やっぱり彼とは話がかみ合わないというか…なんだろうね。
燃えないごみはなんで「燃やしちゃいけないか」
ってのに気付かないのには素で驚いた。

図書館に行く。
この前本を返すのが遅れたので、今日まで貸し出し禁止なのに気付く。
ま、明日はもう一つの課題の準備をすればいいか。
プールで泳いで丸の内線に乗ったら、凄い疲れて席を立ちたくない感じ。
最近レポート・発表続きで気分が滅入ってたのと
昨日一昨日の二日間の密度が濃かったのが原因だろう。
もともと後期はやや気分がgloomyな感じだったけど、
最近さらに気分が優れない。

夜、校内に合格発表の掲示をするための支柱?が組み立てられたのに気付く。
ああ、今年もこの時期が来たんだなあ、と感慨深くなる。
3月10日には、悲喜こもごものドラマがこの掲示板の前で繰り広げられ、
今年の受験もひとまず終わりを告げる。
あれから3年経ったけど、多分自分の受験番号は一生忘れないだろうな。

考えてみれば、僕は今まで色んなことを「我慢」してきて
周囲が何を期待し、どう行動すれば良いのかは大体分かってきたつもり。
そして、自分がそれには完璧には応えられないのも痛感してきたつもり。
そんな自分を受け入れるようにしてきたつもり。


でもね、思うんだけど
今まではひたすら色んなことを我慢して、人の言うことを聞くようにして
その積み重ねで得られるものがゴールだったわけよ。
でもね、いざ大学に入ったら
どうも「変わらなきゃいけない」らしい。
じゃあさ、どう変わればいいわけよ?
どこに行けば、誰に聞けば次は何をすればいいか教えてくれるのよ?
ある程度察しはつくけどさ。
それって正しいの?どういうレベルで?
自分で探せっていきなり言われても困るんだよね。
自己欺瞞と紙一重の危機、じゃない?


要するに、ある一地点まではこの基準に従って行動して
そこからは結構違った原則が適用され、
別の次元のゴールを目指さなければならない。
それって、それまで既存のシステム内で適応してきた人間にとっては
結構困る話です。
今までは「やりたいことをやる」能力を削って
「ひたすらストイックに頑張る」術を見につけて生きてきたんだから。
なんというかね、染み付いちゃってるわけよ。そういう生き方が。

今まで、目的地に着くまで満員電車の中で
最後までくたばらずに辛抱して、やっと終着駅まで生き残ってきたわけ。
で、駅の改札を抜けてみたら、
プロフィール画像のようにゴミの浮いた大海原だったり
どこを動いても大して変哲のなさそうな砂漠だったりしたわけ。
時折見える蜃気楼も
かすかに見える船も
近くに行ってみるとさらに遠ざかったり、大して魅力的でなかったり
必死で動く船員の努力もむなしく沈没寸前だったりするわけ。
だったらさ、そこにある砂浜で遊んだり
手ごろな、だけどいつ枯れるかわからないオアシスで戯れていたいわけ。
そこにある食料が尽きるまで。
























それじゃ駄目だ、と思う。
1人の人間として、僕は人生を楽しむ権利がある。
ある方面の、世間一般で18歳までは最重要項目とされていた能力だってあるはず。
でもね、時々凄く不安になる。
自分を信じていいのかなって。
誰かに言ってほしくなる。
「君は間違ってないよ」って。


誰に?
どういう存在に?
posted by クニ at 02:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは☆
確かに大学に入った途端にある種の管理下から解放されてしまい、今でも途方に暮れてしまいます。あんなに心待ちにしてた解放なのに、主体性のない自分が明らかになるばかりで気持ちは逆に拘束を求めているような。。
ある種の管理下にあるほうが、ある程度責任のなすりつけもしやすいし、自分ってこき使われてるシンデレラなんじゃないかしらって思ったりできるし、ラクなんですよねー。
。。。進路どうしようか思案中です。。。
Posted by えりおっと at 2006年02月05日 03:09
コメントありがとう★

管理下から解放されるのは良いことだとは思うんだけど、肝心の助走期間…というか、少なくとも道しるべになるような教育もして欲しい所。
拘束を求める、という傾向は、法学部や経済学部の学生に顕著に見られるかな、と思ったり。
資格試験や公務員試験は代替目標になりやすそうな気がする。目的意識があってやるならいいと思うけど。
責任のなすりつけができたり、管理下におかれてる自分、に酔えることも出来るけど、何かをやり遂げた時の達成感と言うか満足感は違うんだろうなぁ。

え?あの学科良いんじゃない?
Posted by クニ at 2006年02月05日 04:05
わからないところもあったけど、内容を誤って解釈してるかもしれないんで、予めご容赦お願いします。
周りに流されて我慢して生きていく人生、僕も今までそんな人生で良いと思っていた。だけど、最近になってそれじゃいけないという意味が自ずと分かってきた気がします。
僕自身、今までは意見も言えずに周りの顔色を伺い翻弄されていて、自分より相手のことを考える「他己中心」的傾向に生きてきました。自分が黙ってたら丸く収まると考えてました。このままじゃ、自分の中にある潜在能力(?)が現れないまま、何も感じないロボットのような無味乾燥な人生を送ってしまうと。
確かにクニさんと同様、変わろうと思っても何をどの様に?今の自分と変わろうとしている自分へのGAPを感じたり、変わっていく自分に対してこれで良いのか…考えるとキリがないですね。
そんな自信のない自分に肯定してくれる(?)言葉をかけてくれる方が欲しいという気持ちは痛いほどわかります。

「人生」という定義なんて誰に聞いてもわからないし、決め付けるものじゃないと思うんです。その人その人で決めたら、それがその人の人生の定義なんだと。
Posted by ゆうた at 2006年02月07日 01:43
ゆうたくん初書き込みありがとう。

他己中心で生きてしまうのが良くない理由として、僕は次の二点を考えてます。
まず、人は変えられないものであり、自分がよかれと思って頑張ったことでも相手にとっては大したことではなかったり…といったケースに代表されるズレというものです。結局自分のことは自分が一番分かっている、といいますが、相手のためを思いすぎてもそこには限界があるということです。
二つ目は、人の希望に沿うように生きていったら、今自分が置かれている状況が気に食わなくなったときに、周囲のせいにしてしまう/できてしまうことです。これはエリオットの書き込みにあることだけどね。そして、そんな風に過ごした結果
「幸せ」になれる場合はほとんどないんじゃないかと僕は感じてます。

確かに、どう変わればいいのかなんて容易には見付からないよね。もし簡単に見付かるなら、自己啓発系の書籍やセミナーやブログはこんなに流行らないと思う。
漠然としてるけど、どう変わればいいのかもまた人それぞれなんだよね。
ゆうたくんは今の時点でそのことに気付けているのだから、その点に関しては自信をもっていいんじゃないかな?
Posted by クニ at 2006年02月09日 04:08
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