2006年01月28日

not仮面 but迷路

昨日は発表の後、先生宅でパーティー☆でした。
やはり人前で弱みはさらけ出すべきではないのかなあ…
後々不利になると言うか、
やっぱり思慮の浅い人に短絡的に、無意識的に見下される原因になってしまうかも。

________


気持ち的に一番キツイ山は乗り切ったので、後は適度に頑張っていこうと思います。

友達のブログに「面接前に担当者にブログを見られていた」という記事が。
「Mixi日記はともかく、ある程度外向きに作ったブログならその人の人間性が出る。
履歴書には是非ブログの「住所」も!」とのことでした。

確かに、このブログ見た人が自分をより良く理解してくれればいいなあ、と言う思いは
僕にもあります。
まあ、どの段階まで情報を開示するかを決めて
どのくらいの人々に自身の記事を届けるか、を明確にしたほうが
内容としては安定してくるでしょう。
そうすると「日誌」寄りのものになる傾向が強いかなぁ。
「現実生活で人にはなかなか言えない、言わない自分の思い」を
どこかに表したいという動機が
ブログを書き始めるきっかけの大きな部分を占めていた自分にとは
ちょっと違うなと感じる。
勿論、どちらが良いってことはなくて
作者がどっちを求めているかということだろう。

ちょっと昔に目を向けてみると、
平安時代には「日記文学」(土佐日記とか蜻蛉日記、更級日記その他…)
たるものが存在しましたよね。
あれ、結構内容に嘘や誇張が含まれてるらしいです。
日記全体のテーマに都合がいいようにね。
結局他人に向けて描かれたものと言うのは、
事実をありのままに記録したわけではない、という傾向は
別に今に始まったことではないんだな、となんか納得。

__________________


「なんかこのままでいいのかな自分」的気持ちがまた再燃。
暗い顔して駅のエスカレーターに並ぶ大人にはなりたくない。
みんな最初はそう思っているのかもしてないけど
やがては不可抗力的な何か、がそうさせていくのかもしれない。
好き好んでそういう顔になる人なんていないよね。

「環境なんて自分で作るもの」という意見に僕は賛成だし
実感もしてきた。
でも、実は、
壁の見えない、ゆるやかなガラスの迷路を進んでいるのかもしれないとも
たまに思う。
壁に張り付きながら進んでいれば、道が曲がったことには気付かないでしょ?
posted by クニ at 01:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
う〜ん。
杞憂もあるし、あと一歩でもあるんじゃね?

苦しい山を何度も越えることができているのだから、すでにkuniは強い。そして大人でしょ。
乗り越えた苦難の深さと数はその人の財産でしょう。まだ実感できてないのかもしれないけど。
これは励ましじゃない。事実。

道を曲がったことは、多分はっきりと自覚することができるハズ。それは「曲がっていない」ということを必ずしも意味しない。今の場所からは死角なのかも知れないし。

そんなときは「何が起こるかわからない状況」に自分を叩きこんでみよう。
意外と評価される自分、力がすでに備わっている自分がいたりする。
そういう経験の中で自分の人生の(研究の)テーマを拾ったりできるさ。

オレにとってはASLと巡礼がそれだった。(しかも巡礼はまだ始まったばかり。これからさらに経験値を稼げる。楽しみで死にそう。笑。)
一度異界にいって日常に戻る、という例のパターンです。

春休みに何かやってもみては?まだ時間的にも間に合うっしょ。
でも、ただの観光旅行なら全く無意味だべ。
単に日常を拡大しても何も新しいものは出て来ない。

・・・釈迦に説法か(笑)
Posted by warunori at 2006年01月28日 08:32
コメントありがとう♪
勇気付けられました。特に、事実。のあたり。

>苦しい山を何度も越えることができているのだから、すでにkuniは強い。そして大人でしょ。
乗り越えた苦難の深さと数はその人の財産でしょう。まだ実感できてないのかもしれないけど。
これは励ましじゃない。事実。

財産だと思いたいけど、苦難によって変わってしまった、その状況下でそうならざるを得なかった自分、変わってしまった自分に対する悔しさとか、もうどうしようも出来ない、みたいな無力感を感じてた時期もあったっけ。
人は今までの自分を抜きにして全く違う存在になることはできないよね。よくある「昨日までの私にバイバイ」的なフレーズって本当に安直だなぁと思う。あくまで積み上げていくもの。
歪んだら、(可能であれば)一部脱構築しつつ積み上げていかなきゃね。

自分は強いのだろうか。大人なのか子供なのかも自分で迷っちゃう。


>そんなときは「何が起こるかわからない状況」に自分を叩きこんでみよう。
意外と評価される自分、力がすでに備わっている自分がいたりする。

なるほどね。「何が起こるか分からない状況」→そこでの評価 は、「日常生活の中で意識的にしろ無意識的にしろ記号化され内外に発信されている自分の属性」というものを抜きになされるものだから、「実力」が分かりやすそうだね。

>オレにとってはASLと巡礼がそれだった。(しかも巡礼はまだ始まったばかり。これからさらに経験値を稼げる。楽しみで死にそう。笑。)
一度異界にいって日常に戻る、という例のパターンです。

ASLそんなにカオスだった!?
後々になってみると、warunoriの人徳に皆気付き始めてるよね。
流石だなと思った。
巡礼いいよね。残りも実り多きものでありますように!
そういえば一年のときの自由研究は「巡礼」でした。
メッカ巡礼と伊勢参り・熊野詣を比較したの。
その時代の体制側の支持をどう得られたかが興亡の分かれ目だったみたい。


>春休みに何かやってもみては?まだ時間的にも間に合うっしょ。
でも、ただの観光旅行なら全く無意味だべ。
単に日常を拡大しても何も新しいものは出て来ない。

観光旅行もそれなりに意味は持てると思うよ☆
ただし、それは現地の人とどれくらい接点が持てるか、
にかかってくると思うけどね。
春休みは…とりあえず香港に行ってみようと思う。三月は空けるように今調整中なので、その他に2週間くらい何か別のところに行ってみようと思う。

馬の耳に念仏レベルですわ☆
実は馬の着ぐるみだといいけどね。
Posted by クニ at 2006年01月28日 23:51
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